※当記事は2025年10月の内容です。
家族信託という言葉が社会に浸透し始めてから、十年以上の歳月が流れました。当初は一部の専門家や先駆的な実務家の間で注目されるにとどまっていましたが、近年では新聞やテレビ、インターネット等の影響もあり、一般の方々の認知度が格段に高まっています。
実際に私の事務所でも、「家族信託を検討してみたい」という依頼を直接受けることが、かつてに比べて大幅に増えました。
しかし、ここでまず強調したいのは、家族信託は目的ではなく、あくまでもツールに過ぎないという点です。信託を締結することそのものがゴールなのではなく、依頼者が抱える課題──認知症による財産凍結への不安、事業承継の悩み、二次相続への備え、家族間の公平性確保──を解決するための“手段”の一つにすぎません。
成年後見制度の価値を忘れない
家族信託が注目される理由のひとつに、「成年後見制度では十分に対応できない」という社会的な声があります。確かに、成年後見制度には柔軟な資産運用や承継設計が難しいといった制約が存在します。しかしながら、だからといって成年後見制度が不要になったわけではありません。
成年後見制度は依然として有効な制度であり、特に家族の支援が得られにくい方や、財産保護の厳格さが求められるケースでは第一の選択肢となり得るものです。むしろ家族信託と成年後見制度は対立するものではなく、依頼者の目的に応じて適切に使い分け、あるいは組み合わせて活用するべきものだと考えています。
オーダーメイドの発想とパターン化の両立
家族信託の実務に携わって強く感じるのは、「一件たりとも同じ案件は存在しない」という事実です。依頼者ごとに家族構成、財産状況、価値観が異なり、信託契約の設計はまさに完全なオーダーメイドを求められます。
例えば、不動産を複数所有している方が「子どもたちに公平に相続させたい」と望むケースと、「資産を特定の後継者に継がせたい」と願うケースとでは、信託の仕組みは全く異なります。さらに「子どもに迷惑をかけたくない」と強調される方もいれば、「子どもにしっかりと管理を任せたい」と語る方もいます。依頼者の想いを丁寧にヒアリングし、それを法的な条項として落とし込むことこそ、家族信託の真髄といえるでしょう。
ただし同時に、数多くの案件を経験することで、一定の「パターン化」が可能になることも実感しています。ありがたいことに、私の事務所で手掛けた家族信託はすでに300件を超えました。その過程で、典型的な依頼者のニーズやよくある論点が浮き彫りになり、一定の「型」のようなものが蓄積されてきたのです。
例えば、親が認知症になる前に不動産を子に承継させたいというニーズは非常に多く、その場合の条項や登記実務、金融機関対応の流れは、ある程度整理されています。また、二次相続に備えた受益者連続型の設計も、経験を積むことで比較的スムーズに説明・提案できるようになりました。こうしたパターン化は、依頼者への説明のわかりやすさや、書類作成・調整業務の効率化に大きく寄与しています。
もっとも、パターン化はあくまで土台であり、それを依頼者ごとに調整し、「オーダーメイドの最終仕立て」を行うことが不可欠です。依頼者の個別事情を反映させない「型の押しつけ」は、制度への信頼を損ねることにつながります。オーダーメイドとパターン化、この両者のバランスをいかに取るかが、実務家の力量を問われるところだと感じています。
経験がもたらす変化
経験を積み重ねたことによって、私自身の対応は格段に楽になりました。制度導入初期の頃は、金融機関や他の専門職から「信託とは何か」と尋ねられることが多く、説明や調整に多大な時間を要しました。しかし現在では、銀行の窓口担当者や顧問税理士の方から「このケースは信託が適しているのでは」と相談を受ける場面も増えています。信託が“特別な制度”から“選択肢の一つ”へと変化したことを、地域の現場で肌で感じています。
依頼者に対しても同様です。かつては信託に懐疑的な表情を浮かべられることも多かったのですが、現在では「信託を使うとどうなるのか」と積極的に質問され、前向きに検討していただけることが増えました。その背景には、こちらが豊富な実例をもとに説明できるようになったことが大きいと考えています。
今後の展望
今後の家族信託実務においては、制度そのものの普及にとどまらず、依頼者本位の設計力が一層問われる時代になるでしょう。信託は万能の制度ではありません。成年後見制度や遺言、任意後見契約、財産管理契約などと並ぶ選択肢の一つであり、時には複数を組み合わせてこそ真価を発揮します。
また、制度の知名度が高まることで「信託さえ結べば安心」という過度な期待が広がる危険性もあります。設計を誤れば、かえって家族間の争いを生み出すこともあるため、実務家はそのリスクを正しく伝える姿勢を持ち続けなければなりません。
私にとっての使命は、信託というツールを正しく位置づけ、依頼者にとって最適な仕組みを共に設計することです。オーダーメイドの発想を大切にしつつ、過去の経験から得た知見を活かして合理的なパターンを提示し、依頼者の理解と安心を支える。それが、今後の家族信託実務家に求められる役割であると考えています。
結びに
300件を超える家族信託の経験を振り返ると、制度の黎明期を過ぎ、いまは「最適解をどう設計するか」が問われる時代に入ったと感じます。オーダーメイドでありながら、経験を積むことでパターン化された部分を活用し、依頼者にわかりやすく、かつ確実な制度設計を行うこと重要だと考えます。
家族信託は目的ではなくツールです。成年後見制度も有効です。そして依頼者ごとに異なる人生の物語を丁寧にくみ取り、最適な仕立てを施すこと。実務家として、この取り組みをこれからも大切に積み重ねていきたいと考えています。