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一般公開

#家族信託の潮流

第5回 日司連の民事信託支援ガイドライン(2)

一般公開期間:2025年4月1日 ~ 6月30日

※当記事は2025年4月の内容です。

前回の誤植のお詫び

 前回(本連載4回)の本連載には誤植が複数個所ございました。今回、冒頭にて、このような誤植につきまして、お詫びいたしておきたいと思います。本記事の読者からご指摘を受けまして、筆者が確認しましたところ、元々の原稿段階ではミスタイプは存在しなかったのですが、原稿をゲラにするプロセスにて誤植が生じてしまったようです。前回は、日本弁護士連合会(日弁連)や日本司法書士会連合会(日司連)から公表されたガイドラインを対比して論じるという極めて公益的かつ重要な内容であったのに関わらず、複数個所の誤植を生じてしまいましたことは、誠に、お恥ずかしい限りです。
 ところで、前回は、日司連から公表されました民事信託支援業務の執務ガイドライン(日司連ガイドライン)からの抜粋について、日弁連から公表されました民事信託業務に関するガイドライン(日弁連)からの抜粋と対比しながら論じるという内容であり、日弁連ガイドラインの原文からの抜粋の箇所を、囲みで目立つように適示させていただきました。しかしながら、その日弁連ガイドラインの抜粋箇所の全てが、日司連ガイドラインのものであると誤記されてしまいまして、「対比」とはならないような形式となってしまいました。双方のガイドラインの原文を読んだことがなかった読者にとっては、混乱以外の何ものでもなかったことと思います。
 それゆえ、一般の読者の皆様から、筆者に対しまして、本連載の内容が良くわからないとのお叱りをうけました。まさに読者のご指摘のとおりでありまして、本連載の筆者にとりましても、そのような初歩的な誤植を惹起させてしまいましたのは初めてのことです。何よりも、かような基本的な誤植を見逃してしまいましたのは、一般公開の記事としましてはあってはならないことです。関係各位や諸機関にはご迷惑をおかけいたしまして、心より反省しております。本当に申し訳ございませんでした。

前回の訂正箇所

本連載には頁数が記載されておりませんので、訂正箇所の特定がわかりづらくて申し訳ないのですが(頁数や小見出しの番号の表記がないのは文献引用等の際にも困ることかもしれませんが)、誤植の訂正箇所は次のとおり、日弁連ガイドラインからの抜粋のラインマーカーを引きました「小見出し」の箇所でございます。

小見出し「日弁連ガイドライン策定の趣旨」中の抜粋箇所

訂正前

日司連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 東京地判平成30年9月12日(金融法務事情2104号78頁)の事案に代表されるように、民事信託を委託者の推定相続人の利益を実現するため濫用的に利用する事例が増えている。このような民事信託の濫用的な利用方法が広まるならば、民事信託は信用できない制度とのイメージが付いてしまうとの危惧がある。民事信託が信頼できる制度としてこれからも利用され続けるために、民事信託は正しく利用されなければならない。

次の記載が訂正後のものです。

訂正後

日弁連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 東京地判平成30年9月12日(金融法務事情2104号78頁)の事案に代表されるように、民事信託を委託者の推定相続人の利益を実現するため濫用的に利用する事例が増えている。このような民事信託の濫用的な利用方法が広まるならば、民事信託は信用できない制度とのイメージが付いてしまうとの危惧がある。民事信託が信頼できる制度としてこれからも利用され続けるために、民事信託は正しく利用されなければならない。

 このように日弁連ガイドラインの表記であるべきところ、日司連ガイドラインとの誤植が生じてしまいました。なお、上記の抜粋で指摘される東京地判平成30年9月12日は、司法書士が組成支援に関わった有名な判決です。

訂正前

日司連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 その正しい利用方法が実務的に確立しておらず、また、十分に周知されていない状況にある。 そこで、本ガイドラインは、日本弁護士連合会(以下「日弁連」という。)として、民事信託を取り扱う全ての会員に対し、民事信託を正しく利用するための指針を示すものである。

 民事信託を正しく利用するための指針という記述に注目しておきたいと思います。日弁連ガイドラインの最大の特色は正しさという一定の価値観が内包されていることだと思います。
 次の記載が訂正後のものです。

訂正後

日弁連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 その正しい利用方法が実務的に確立しておらず、また、十分に周知されていない状況にある。 そこで、本ガイドラインは、日本弁護士連合会(以下「日弁連」という。)として、民事信託を取り扱う全ての会員に対し、民事信託を正しく利用するための指針を示すものである。

 このように、日弁連のガイドラインにおける思想的に根幹の箇所でありますが、その表記を日司連ガイドラインとしてしまったことについては、本当に申し訳ない思いで一杯です。
 次の誤植箇所も同様の誤植です。

小見出し「日弁連ガイドラインにおける委託者の意思確認」中の抜粋箇所
訂正前

日司連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 委託者が高齢の場合、信託契約の締結に際し親族等から不当な影響を受けたことを理由に、後に信託の効力が争われる危険がある。弁護士は、委託者が親族等から不当な影響を受けていないか慎重に見極め、委託者の信託を設定する意思を確認しなければならない……委託者が親族に伴われて相談に来たときには、親族の同席なしに個別に意思確認をする機会を設ける……日時(午前又は 午後等)、場所(法律事務所又は施設)、方法(面談、電話又は手紙)を変えるなどして、意思確認を複数回行う

 この記述箇所も、日弁連ガイドラインが、実践的な行為規範を示している部分です。次の記載が訂正後のものです。

訂正後

日弁連ガイドラインからの抜粋(下線は筆者)
 委託者が高齢の場合、信託契約の締結に際し親族等から不当な影響を受けたことを理由に、後に信託の効力が争われる危険がある。弁護士は、委託者が親族等から不当な影響を受けていないか慎重に見極め、委託者の信託を設定する意思を確認しなければならない……委託者が親族に伴われて相談に来たときには、親族の同席なしに個別に意思確認をする機会を設ける……日時(午前又は 午後等)、場所(法律事務所又は施設)、方法(面談、電話又は手紙)を変えるなどして、意思確認を複数回行う

 訂正箇所は以上の3か所です。この箇所も、日弁連ガイドラインの思想を示す重要な方法論の箇所でしたが、関係者の方々にはご迷惑をおかけしまして、再三、深く、お詫びいたします。このような最も重要な箇所に編集過程で誤植を生じてしまうとは想定外のことでしたが、筆者もゲラに一度目を通しておりますので、全て筆者の責任です。このような一般公開の記事での誤植はあってはならないものですので、何よりも、日弁連と日司連に対して、心よりお詫びしなければなりません。今後、細心の注意を払い、編集作業に注意していきたいと思っております。

今回の内容

 以下、前回(本連載4回)に引き続き、日弁連ガイドラインと対比しながら、日司連ガイドラインの内容について議論していきたいと思います。
 家族信託の多く(不動産の家族信託の多く)を司法書士が担っているという状況下、全国の司法書士の司令塔であり頭脳である日司連がどのような指針を発出しているのかを知ることは、そのガイドラインの対象となる司法書士のみならず、家族信託に関わる行政書士や弁護士、税理士、そして、金融機関の担当者の方々、さらには不動産事業者の人々にとっても、大きな関心事であるように思われます。
 今後、このガイドラインが、法令ではないにも関わらず、司法書士が関わる家族信託紛争の裁判や司法書士に対する懲戒事案における重要な考慮要素となっていくであろうことを想定しますと、何よりも家族信託に携わる、あるいは、関心をもつ司法書士の人々にとって重大事であると思われます。

日弁連ガイドラインに見られる思想

 ところで、司法書士会の全国組織である日司連ではなく、弁護士の全国組織である日弁連に(前回の誤植がありましたので、用心しまして日弁連という単語を強調しておきます)よる日弁連ガイドラインを読みますと、最も印象深いのは、次のような思想です。次からの抜粋は日弁連のものですが、弁護士が、依頼を受けて信託契約書の案文を作成する業務を行う場合(これは信託契約の公正証書化を前提とするがゆえの表現でしょう)、その依頼者は委託者である、という日弁連からの強いメッセージです。

日弁連ガイドライン3頁
1 信託契約の締結に当たっては、依頼者は委託者であることを理解し、また、依頼者は委託者であることを関係者にも説明しなければならない。

 このような行為規範は、日弁連ガイドラインの中で何度も繰り返されます。依頼された効果として、弁護士は、依頼者に対する契約上の義務を負うわけであり、それが善管注意義務であり、忠実義務であるわけですが、それを誰に対して負うべきものなのか、が明示されております。とりわけ忠実義務の観点は重要であると思います。専門家として、誰に忠実であるべきか、という問題です。

日弁連ガイドライン3頁
 信託契約書の案文の作成に関する業務を受任した弁護士が、善管注意義務、忠実義務を負うべき依頼者はあくまで委託者であり、このことを十分に理解した上で、この業務に当たらなければならない。

 このような忠実義務を、専門家として、誰に対して、どのように負うべきか、という問題は、逆の視点から、委託者と受託者からの双方から受任すると考えた場合、潜在的に利益が対立し得るであろう契約の両当事者に対する専門家の責任論は何か、という問題としてクリティカルとなるでしょう。

日弁連ガイドライン4頁
 契約によって信託を設定するに際して、信託契約の当事者となる委託者及び受託者とともに各信託条項を含めたスキームを協議し……その場合でも、弁護士は、常に「依頼者は委託者」であることを意識して、委託者の意思を実現するための信託契約書の案文を作成しなければならない。

 弁護士は、当該業務のプロセスで、当然のことながら、委託者のみならず、受託者とも協議を行い、信頼関係を形成するわけでしょうけれども(そうでなければ、信託を受託し、引き受けて義務を負う受託者の側としても納得できないでしょう)、そのような場合であっても、依頼者は委託者であると、日弁連ガイドラインは念を押しております。ここで問題となるのは、依頼という契約関係である法的関係に対して、信頼関係という関係性は、質的に同じものなのか、異なるのか、ということです。家族という対内関係における信頼関係(信認関係)が縦糸となり、専門家と家族との信頼関係(信認関係)が横糸として紡ぐ家族信託関係を解く難しさかもしれません。

日弁連ガイドライン6頁
 前述の「第1 依頼者の意思確認」のとおり、信託契約書の案文の作成に関する業務を受任した場合の依頼者は、委託者である。

 また、次の箇所で印象深いのは、信託契約の締結に際して、弁護士が関係者に対するコーディネーターとしての役割を果たすとしながらも、それは、あくまでも依頼者である委託者の意思の実現のための活動であり、調整役ではないと断言していることです。コーディネーターという単語と調整役という単語とは、表面的には似て非なるものであると申しますか、両者の概念は何が質的に異なるのか、という問題も内在しております。

日弁連ガイドライン10頁
 このように、信託契約を締結する際には、弁護士が、スキームの全体を見通し、公証人、金融機関、司法書士及び税理士などとの間で、コーディネーターとしての役割を果たすことが求められる。この役割は、依頼者である委託者の意思を実現するために行う活動であり、単なる「調整役」ではない。

 この調整役という表現でもって、いかなる関与形態が想定されているのかが気になるところです。さらには調整役という名詞に対しては「単なる」という形容詞も付されており、調整よりも、委託者の意思実現を実現することのほうが重要である、という思想が垣間見えます。そのような文脈から、ここでは、調整という表現に対して、委託者の意思実現という表現が、対比的かつ対立的に用いられていることが伺われます。そうなると、調整とは何か、何をするものなのか、という問題に直面せざるを得ません。

受託者主導型の家族信託と日弁連ガイドライン

 前述の誤植の訂正箇所で示されておりますように、日弁連ガイドラインは、その価値観としまして、委託者の推定相続人が主導して設定され、濫用のリスクを孕む家族信託に対するアンチテーゼがあるように感じられます。要するに、受託者主導型の信託として、高齢の親を委託者として、子供が受託者となり、子供(あるいは子供らの一部)が主導して組成し、残余財産の帰属権利者等の利害関係人となり、信託を運営していくような家族信託です。
 確かに、このような受託者主導型の信託は、利益相反のリスクおよび濫用のリスクを完全には否定することができないものかもしれません。そして、家族信託を巡る紛争の少なからずが、受託者の主導型の信託で生じ、受託者と委託者の間、あるいは、受託者と受益者の間で生じているものです。
 財産管理者である受託者は、本来、信託財産に対して利害関係をもたない立場であるべき者ですが、受託者主導型の信託では、その受託者が、信託終了時における残余財産の帰属権利者として指定されることがあり、その場合、信託財産に対する利害関係者となっております。それも、受益者と並んで、信託財産から利益を受け得る立場として、最大の利害関係者の一人となり、親の遺産の囲い込みのような濫用事例を生じ得るリスクを内包しております。また、信託期中における信託財産からの受益者に対する充分な給付に対して、なるべく、自らの取り分としての残余財産を減らさないようにしてしまうという利益相反のリスクを内包していることが指摘されてきました。
 家族信託の組成の現場でも、子供あるいは子供らの一部が主導して信託を組成したいとの相談を受けることは多々あることであるでしょうし、その際、それに対処する専門家の人々を悩ませるのも、そのようなタイプの案件でしょう。更には、信託財産に法的な利害関係を持ち得る親族が一同に参加する家族会議を行えないような相談案件に対して、信託組成の支援を業として行ってよいのか否か、という問題でもあり得ます。これは、いわゆる紛争性の有無という問題との表裏でもあるでしょう。
 次回は、今回見てきたような弁護士による日弁連ガイドラインの中核的な思想の部分に対して、司法書士による日司連ガイドラインの思想はどのようなものかを検証してみたいと思います。