※当記事は2026年7月の内容です。
高齢の親を持つご家族や、ご自身の生前対策を検討されている方から、私の事務所でも「生前贈与と家族信託、どちらが良いのでしょうか」というご相談を受ける機会が非常に増えています。
特に近年、メディアの影響もあり家族信託の認知度が高まるにつれ、「税金を安く抑えながら、子供に財産を譲りたい」という文脈で、この二つの制度が並べて比較されることが多くなりました。
しかし、ここで私たち実務家が決して見落としてはならないのは、これらは単純な損得勘定で選ぶべき二者択一の制度ではないということです。これまでもお伝えしてきた通り、家族信託は目的ではなく、目の前のお客様の課題を解決するための「ツール(手段)」に過ぎません。税負担の軽さという一面的な数字だけで判断し、ツールの本質を理解しないまま設計を進めてしまうと、将来的にご家族に大きな混乱や紛争を招くリスクを孕んでいます。
本稿では、生前贈与と家族信託の本質的な違いを「税負担」と「財産管理の自由度」の2つの視点から紐解き、実務家としてどのような「最適解」を提案すべきか、現場のリアルな視点から考えてみたいと思います。
1. 生前贈与の落とし穴 : 「財産権の完全移転」が招くリスク
生前贈与の最大のメリットは、将来の相続財産を確実に減らし、計画的に次世代へ財産を移転できる点にあります。暦年贈与の基礎控除や、各種の非課税特約をうまく活用すれば、確かに高い節税効果が期待できます。
しかし、実務の現場で私がよく直面するのは、「お金をあげた後のコントロールの喪失」という問題です。
生前贈与の本質は、財産の「所有権」を完全に相手に移転することです。一度子供に贈与してしまえば、その財産を子供が何に使おうが、原則として親が口を挟むことはできません。「将来の施設入所費用に」と思って子供の口座に移した資金が、子供の遊興費や配偶者の事業資金に消えてしまった、というトラブルは決して珍しくないのです。
さらに、財産を受け取った子供が若くして先に亡くなってしまった場合や、離婚問題に巻き込まれた場合、その財産は親の意図しない第三者の手に渡ってしまう危険性すらあります。
つまり、生前贈与は「税負担を減らす」ことには非常に強力ですが、「財産が本人のために正しく使われるか」という管理・運用の視点においては、親の手を完全に離れてしまうという大きなリスクを抱えているのです。
2. 家族信託の真価 : 贈与税を課さずに「管理のバトン」を渡す
一方で、家族信託の真価はどこにあるのでしょうか。それは、財産の「所有権」を、経済的利益を受け取る権利(受益権)と、財産を管理・処分する権利(管理権)の2つに分離できる点にあります。
例えば、親を「委託者」かつ「受益者」、子供を「受託者」として信託を組む場合、財産の経済的な価値(家賃収入や預金の利用権)は親に留まったままになります。そのため、法律上は「所有権の移転(贈与)」とはみなされず、信託組成時に高額な贈与税が課されることはありません。
一方で、実質的な管理や売却の権限(管理権)だけを、元気なうちに子供へ託すことができます。
これにより、「親の判断能力が低下した(口座が凍結された)後でも、子供の判断で実家を売却し、その費用を親の介護施設費用に充てる」といった柔軟な財産管理が可能になります。
生前贈与が「財産そのものを渡す」制度であるのに対し、家族信託は「税負担を発生させずに、財産の管理バトンだけを渡す」制度です。この違いを正しく理解していると、お客様への提案の幅は格段に広がります。
3. 「節税効果」という自己満足の設計に陥っていないか
ここで、私たち実務家が特に注意すべきなのが、「節税効果」や「高度なスキーム」に囚われた自己満足の設計です。
「これだけ複雑な信託を組めば、これだけ税金が浮きます」といった提案は、一見すると専門性が高く、依頼者にも喜ばれやすいように見えます。しかし、信託の本質を踏まえない無理な設計は、運用段階で必ず機能不全を起こします。
過去のレポートでも触れましたが、信託設計において最も重要なのは、制度として可能かどうかではなく、「実務として回るか」「将来にわたって無理なく運用できるか」という視点です。
例えば、節税だけを目的として複数の不動産ごとに細かく受益者を割り当てたり、受益者連続型信託で最終受益者を複雑に設定しすぎたりすると、信託開始後の税務申告や管理コストが跳ね上がり、結果的に受託者であるご家族に過度な負担を強いることになります。
家族信託は、実務家の技量を誇示するためのツールではありません。どれほど高度な契約書であっても、家族の安心に繋がらなければ、それは「失敗した信託」と言わざるを得ないのです。
4. オーダーメイドとパターン化 : 二者択一ではなく「いいとこ取り」へ
では、実務において生前贈与と家族信託のどちらを選ぶべきなのでしょうか。その答えは、これまでの300件を超える家族信託の組成実績、そして200件以上の成年後見人としての経験から言えば、「二者択一ではなく、組み合わせて双方の強みを活かす(いいとこ取りをする)」ことです。
一件たりとも同じ案件は存在しないため、設計は完全なオーダーメイドですが、私の事務所での経験をベースにすると、以下のような一定の「パターン(型)」を組み合わせることで、実務的な最適解が生まれます。
贈与という「財産権の完全移転」と、信託という「管理権の委託」。それぞれの特徴をパズルのように組み合わせることで、初めてそのご家族にとっての「オーダーメイドの最終仕立て」が完成するのです。
結びに:手続きの代行から、家族の将来に寄り添う「本当の相談相手」へ
これからの生前対策実務において求められているのは、単に法律や税務の条文を作る能力以上に、ご家族の将来を具体的に描く「想像力」です。
生前贈与も、家族信託も、そして成年後見制度も、すべてはご家族の笑顔と安心を守るためのバリエーション豊かな「選択肢」にすぎません。
「税金が安くなるから」と不安や損得勘定を煽るような古い提案スタイルを捨て、依頼者ごとに異なる人生の物語を丁寧に汲み取り、それぞれの制度をどう組み合わせるのが一番幸せなのかを共に考えること。
「使える信託、使える生前対策かどうか」。この問いを常に自らに投げかけながら、書類の作成代行者で終わるのではなく、ご家族の将来に寄り添う「本当の相談相手」として、今後も目の前のお客様に最善を尽くしていきたいと考えています。
実際の家族信託の組成や生前贈与の実行にあたっては、ご家族の財産構成、親族関係、契約書の具体的な条項によって、課税関係(贈与税・相続税・譲渡所得税、および実質的な税負担の有無)が大きく異なります。
予期せぬ税務リスク(定期贈与とみなされるリスクや、みなし贈与税の発生など)を防ぎ、実務として安全に機能させるためにも 、個別具体的な税務判断やシミュレーション、実際の申告実務に関しましては、必ず事前に管轄の税務署、または顧問税理士等の税務の専門家にご相談・ご確認いただきますようお願い申し上げます。